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『文字盤の記憶』

宮地さんができたてホヤホヤの書籍『文字盤の記憶』を持って来られました。邦文写植機発明百年の[記録編]で、600ページ超という渾身の一冊です!装丁についてあれやこれや話していたら、クレジットに社名を入れてくださいました。宮地さん、ありがとう...
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「邦文写植機発明百年」展示会

「大阪DTP勉強部屋」を主催する宮地さんの展示会(会場:Casa La Pavoni)へ行ってきました。 左:誌面レイアウトの指示書/右:実際の誌面 お客さま一人ひとりに丁寧な説明をする宮地さん 漫画家・青木光恵さんの版...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑨】

今日は写真写植機の発明から100年目! 今日は2024年7月24日です。この日が写植機発明100年目になります。森澤信夫と石井茂吉が共同で写植機をカタチにして特許出願したのが、大正13年(1924)7月24日でした。 2022...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑧】

時代を作った写研書体たち 1970年代に次々に創刊されたグラビア雑誌。それらや各種印刷物に使われ、写研書体は瞬く間に日本中に広まっていきました。「ナール」と同じ中村征宏が作った「ゴナ」も時代を作った書体といえるでしょう。「ナール」も...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑦】

書体にこだわる石井 写植機を独自に作るようになった石井茂吉は、つぎに写植文字の品質に手を付けました。いろいろ考えた末に自分で描くことを選びます。 昭和27年(1952)諸橋大漢和辞典用の原字制作を開始。そして、昭和35年(19...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑥】

手動写植機の時代 森澤信夫と石井茂吉は、大正13年(1924)に写植機を共同で開発する契約を結び、実用1号機を完成させたあと、昭和8年(1933)に提携を解消し、森澤は大阪に帰って写植機とは関係のないネジ製造工場を開業しました。 ...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑤】

世界で一番早く実用化された写真写植機の書体開発 昭和4年(1929)に写真植字機実用機第1号完成。東西の5大印刷会社に納入されました。 レンズの次に石井茂吉(㈱写研)が取り掛かったのは、写植にあった書体の開発です。活版印刷の活...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か④】

レンズの次は…? それは、「シャッター」と「印字する機構」です。これは森澤信夫が担当しました。森澤は生家が工場だったので、小さい頃から機械の部品を使っていろいろと組み立てて遊んでいたので、機械工作が得意でした。そして、アイデアマンで...
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いつの間にやら第2版

フォントクイズで思い出した『フォントかるた(2017年2月17日発行)』。綴じられたバンドを解くこともなく奇麗なまま自宅にありました。いつの間にやら第2版が出ています。どんなフォントが追加されているんでしょう…?(nāga) ...
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邦文写植機発明百年【写植とは何か③】

文字盤の次に重要なものは…? それは、レンズでした。文字盤を下から光源ランプで照らし、その光をレンズを通して印画紙に焼き付けるのです。レンズは顕微鏡や双眼鏡のレンズを使えばうまくいくと考えられていましたが、ぼやけた印字になってしまい...
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