書体にこだわる石井
写植機を独自に作るようになった石井茂吉は、つぎに写植文字の品質に手を付けました。
いろいろ考えた末に自分で描くことを選びます。
昭和27年(1952)諸橋大漢和辞典用の原字制作を開始。そして、昭和35年(1960)諸橋大漢和用石井細明朝約5万字を完成させました。
写研の書体に対するこだわりは茂吉亡き後、社長を継いだ娘の石井裕子にも受け継がれ、昭和45年(1970)に始まった「石井賞創作タイプフェイスコンテスト」によってさまざまな書体が生まれました。第1回で1位になった中村征宏作の「細丸ゴシック」は、昭和47年(1972)に「ナール」と名付けられ、文字盤として発売されます。
「ナール」は、1970年代前半に創刊されたグラビア雑誌「an・an」「non-no」などに使われて、大流行しました。(えむ)
\邦人写植機発明百年日まであと/
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