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邦文写植機発明百年【写植とは何か⑥】

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手動写植機の時代

森澤信夫と石井茂吉は、大正13年(1924)に写植機を共同で開発する契約を結び、実用1号機を完成させたあと、昭和8年(1933)に提携を解消し、森澤は大阪に帰って写植機とは関係のないネジ製造工場を開業しました。

戦後、昭和21年(1946)に空襲で工場のなくなった石井の要請で再び手を組み、森澤は大阪で写植機を組み立てて東京の石井に送り、石井はレンズ・光源・文字盤をセットして販売することになります。
森澤は最初、A型と名付けられた機械を作っていましたが、生来の機械好きからどんどん改良のアイデアを出し、自分の名前を付けたMC型を作り上げました。

前回お話したように石井は機械だけでなく、文字の品質にもこだわるようになっていました。
そして、少しずつ意見が合わなくなって昭和30年(1955)に提携を解消し、
森澤は大阪で㈱モリサワ写植機製作所を始め、石井は東京で㈱写真植字機研究所としてそれぞれ写植機製造販売を始めました。(えむ)

\邦人写植機発明百年日まであと/

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